<つづき>
(コードトーカーのしゃしんをさつえいするかわのし)
ぶぞくのしょうがくきん(うらんこうなど、とちのロイヤルティがそのおもなざいげん)をもらえるこどもたちもいるが、これでだいがく(ほりゅちがい)ににゅうがくしてもちゅうとたいがくしゃがおおい。というのも、かれらはいちどにまとまったたいきんをてにするとそのしとがわからず、ぜんがくつかってしまってやちんをはらえなくなる。りょうしんにたよろうとしても、かねなどいえにあるはずはなく、しごともなく、いえでさけをのんでいたりする。いっぽう、しょうがくきんをやくだてることにせいこうしたもののはんすういじょうは、ほりゅうちないにもどり、きょうしょくについている。とくにきんねん、しょうがっこうれべる(ナバホごもおしえる)では、ナバホぞくしゅっしんしゃのきょうしのかずがふえてきている。ちゅうがくれべるいじょうになると、はくじんのきょうしのかずがおおくなる。ナバホぞくしゅっしんのいしゃぶそくはおおきなもんだいである。
いんしゅは、ほかのネイティブアメリカンとどうよう、しんこくなしゃかいもんだいである。やすざけもてにはいらないときには、すぷれーかんにてをくわえてさけのかわりにする。いんしゅがげんいんのじこおよびはんざいはあとをたたない。
(アルコール依存症)
<#8につづく>